「委員会がみてる」、完結編第三話。
まだ終わりません。
物語はここからですよ。
ラブばっかりじゃなくて、決裂もさせなきゃ。
そんな遣り取りから数日後のこと。
遅めの昼食を摂ろうと、橋爪は食堂へ向かって歩いていた。
すると廊下の向こうから、岸谷が歩いてきた。
彼はこの時間には珍しく、私服だった。そして手には小さめの鞄。こんな時間に厨房の外に居るということは、早退したか半休を取ったということなのだろう。
そして何処かへ、出かけるつもりのように見えた。
「お疲れさまです、岸谷さん。お出かけですか」
「ああ、ちょっとね」
声をかけた橋爪に薄く微笑んで、岸谷は「じゃあ」とその場を後にした。
それ以上会話を交わすこともなく歩み去る後姿を、橋爪は目で追った。
前髪を下ろしているせいだろうか、それとも目が柔らかく細められていたからだろうか。岸谷は、いつもよりも優しそうで、どこか哀しそうだった。
「…」
「ドクター」
「池上?」
ちょうど其処に、池上がやってきた。
持ち場へ戻るのだろう彼は、岸谷の去って行った方角を見ていた橋爪をそう呼ぶ。そしてごく当たり前のように、彼と仲の良い池上に対し疑問を口にした。
「岸谷さんがお休みを取られるなんて、珍しいね」
「…明日は特別な日なんです」
すると何故か、池上もどこか複雑な笑みを小さく浮かべた。
明日、と橋爪は反芻する。同時に思いを巡らせて───記憶の中から、それを拾った。
「…ああ、そうだったね」
橋爪は思い出した。
明日は命日なのだ。かつて彼の目の前で撃たれたかつての部下の。
地方の出身で、両親の願いもあり実家の地の墓へ葬られた彼を訪れるために岸谷は休みを取ったのだ。
殉職した彼の名は、松坂、と言った。
あの頃は、まだあちこちで銃撃が起こっていた。国会だけでなく警察や官邸に爆弾が投げ込まれたり、人質事件が発生したり───そんな日々だった。
初期の頃に比べたら些かましとは言え、橋爪が赴任したのは薄氷の上を歩くような危うい時期だった、と今なら思う。
外警の班長は岸谷で、西脇は小班長。教官は何代目だったか。
昼食のプレートをつつきながら橋爪はぼんやりとあの頃に思いを馳せた。
「…フレール?」
「ああ。フレールシステム、って言うらしい」
「!」
突如、そんな言葉が聞こえてきた。
それを聞いて橋爪は軽く吹いた。ゴホゴホとむせ上げる。幸い、少し離れたところで固まっている若い隊員はそれに気付いていないらしい。口の中に食べ物を突っ込んでいない状態で良かった、と思い橋爪は涙の滲んだ目を白衣の袖でぐいと拭った。
何だ何だ、一体何が起こった。
橋爪は隊員たちの会話に耳を澄ませた。
「新聞記者の友達が言ってたんだよ。何か、警察上層部?にそんな制度があるんだって。従弟制度みたいな感じで…弟子を取るみたいな」
「へえ。面白いな」
「いや、噂らしいんだけどな。それでも…」
「なんだよ」
そこで隊員が声をひそめた。
「ウチの隊でも、そんなのがあったらしいって…何でもな、西脇さんが」
「西脇さん?」
ぴく、と橋爪が反応する。
そんな様子に気付くはずもなく、隊員たちは続けた。
西脇さんって岸谷元班長の弟になるかもしれないって言われてたんだよな、と。
確かに元々西脇は、岸谷と兄弟になるのではと噂されていた。
訓練校時代から岸谷や内藤といった面々とも繋ぎがあり、若手ながら有能ぶりを発揮しすぐに小班長になった。
そして、松坂。
岸谷の盾になって命を落とした外警の隊員だ。岸谷の部下で西脇の後輩でもあり、彼は西脇が小班長だった頃の新入隊員だった。橋爪も面識はある。
もし彼が生きていたら?
羽田と肩を並べ、池上の先輩として西脇を助けていただろう。外警になくてはならない存在になっていたに違いない。
───もちろん、西脇にとっても。
羽田と池上は既に『兄弟』の約束があるのだと西脇は言った。
だとしたら、彼ならば西脇の弟に相応しいだろう。
食堂からどう辞してきたのか。ふらふらと歩きながら橋爪はそんなことを考えた。
その時。
ドン、と建物を揺るがすほどの轟音が窓を震わせて橋爪にも届いた。
途端に鳴り響くエマージェンシー、慌しく走り寄る隊員。正門からの衝撃だった。橋爪も白衣を翻して正面玄関へ向かった。
「議員の避難は!」
「W館に! 職員の誘導も急げ!」
ごった返す玄関ホールの、その向こう。白煙が見えた。
それを見遣る橋爪の耳に、軽い音が連続して聞こえた。銃声のようだった。
怪我人は、と扉の入り口に近寄ると、「ドクター、外は危険です!」と制止された。
「…西脇が?」
いつの間にか玄関口に来ていた石川がそう、無線に手を添えながら呟いた。
西脇がどうしたというのか。血の気が引いた。
橋爪は思った。
ああ、そうだ。
───私はあなたを守ることも出来ない───。
そんな当たり前のことに、今更ながらに、気付いた。
あなたの側に立って、あなたを補(たす)けて、肩を並べることも出来やしない。
ましてや盾になることもあなたを支えることも。
ただ傷ついたあなたを待つことしか出来ない。
それで戻ってこなかったら。
私はあなたのために、花と祈りを捧げることしか出来ないのだ。
陽のように。
「………」
それからどう過ごしたのだろう。
突然、しんと静まり返った。橋爪は隊員を振り切るかたちで外に出た。外は不自然なほどに静まり返っている。
何が起きたのかと息を呑む橋爪の前に、現れたのは人影。
「西脇さん!」
「やあ…ドクター」
彼は左肩の裏を押さえて、顔を歪めている。頬には擦過傷が付いていた。
「撃たれたんですか!?」
「いや、ちょっとぶつけただけ」
橋爪は西脇の身体を支える。すると彼はふ、と笑った。「おい、もう出てもいいぞ」
その声に他の隊員もがわっと出て行く。白煙が晴れてきた向こうには、暴走して突っ込んだ改造車と、他の隊員に押さえられた男たちが見えた。
「すみません、西脇さんが僕のせいで」
横に付き添っていたらしい外警の新人隊員が、泣きそうな顔で述べた。
ぶつけたと言っても、犯人に鉄パイプのようなもので思い切り殴られたらしい。橋爪は表情を固くした。
「大丈夫だろ、これぐらい。それより後始末が」
「駄目です! 骨を痛めてるかもしれないんですよ!」
「そうだぞ、西脇」
「隊長」
現れたのは石川だった。彼は次々と指示を出しながらも、西脇に中へ入って治療を受けるように告げる。西脇はそれにも少し渋い顔をする。
「いいから、手当てをしてください」
「………」
橋爪は必死に西脇に訴えた。すると西脇は諦めたようにちいさく溜息を落とした。
「…分かったよ、ドクターにはかなわない」
堺の診察を受けて、西脇は自室で安静を言い渡された。幸い骨に異常は見受けられなかったが、他の隊員は腹部を殴打されて一時意識不明になった者もいた。
突っ込んできたのは極右グループの一員で、全員逮捕された。
事件はそれで片付きはしたが、橋爪の中では何か冷たいものが残った。腹の底に澱みのような黒いものが溜まってしまって、それが拭いきれない。
「大丈夫だよ。心配性だなドクターは」
真昼の医務室。
いつものように珈琲を飲みながら話をした。
橋爪の表情は、どこかぎこちないものなのだろう。西脇がわざわざそう言って来るほどなのだ。橋爪はそれを自覚していた。だが、不安を払拭することが出来なかった。
西脇は橋爪が、怪我を心配してのことだと思っているようだ。
翌日、一日だけ休みを言い渡されたものの、その次の日からは平気な顔で出勤していた。この男が顔を歪めるほどの痛みを抱いていたというのに。
「…そんなことを言っているのではないんです」
「心配した? ごめん」
「………」
西脇が、珈琲のカップを置いて橋爪の頬に触れてくる。その大きな掌は確かな温度を持っていたものの、橋爪を安堵させることは出来なかった。
それどころか、より切ない、痛みを呼んだ。
彼の手が、打撲を受けた利き手側でないものだったから余計に。
「私は代わりですから」
「ドクター、本気で言ってる?」
「あなたが本当に兄弟にしたいひとの代わりでしょう?」
そう言うと、西脇が眉を寄せた。
目の光が、何を言うのかと如実に語っている。橋爪は椅子を後にすると机の平引き出しに手をかけた。その中から取り出したものを、追って立ち上がっていた西脇に差し出した。
西脇の顔色が変わる。
どこか、泣きたいような笑いたいような心地になった。それでも橋爪は笑みの顔を作りながら、言った。
「これは…お返しします。今まで、ありがとうございました」
そして頭を下げた。
西脇に返したものは、彼からもらったバッジだった。
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「委員会がみてる」、は多分次回完結でと。…たぶん。
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西橋萌えを語ることが多いかも。